「明日どうなるか分からないから、やりたいことをやろうと。父親も、地域の人が集いコミュニケーションが取れる飲食店をやろうとしていた。自分もやりたいなと思いました」
宇都宮市のスポーツカフェ『Round87』は今年、オープン20周年を迎える。オーナーの簗嶋正真さんは学生時代、相撲を皮切りにサッカー、柔道、空手などを経験。現在はカフェ経営のかたわら、サッカーの栃木SC、バスケットボールの宇都宮ブレックス、自転車の宇都宮ブリッツェン、アイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスなど、プロを中心に県内のスポーツを取り上げる月刊フリーペーパー『栃木スポーツ応援マガジンSUPPORTERS(サポーターズ)』の発行や、日本ダーツ協会県支部長を務めるなど、その活動は多岐にわたる。スポーツに懸ける情熱はどこから来るのか。源泉をたどるため、その言葉に耳を傾けた。
少年時代からスポーツに親しむ。相撲では大物からスカウトも
――出身は宇都宮ですか?
「はい。西川田です」
ーーこの辺り(店舗は近隣の春日町)をずっと見てきたんですね。
「そうです。まだ環状線(宇都宮環状道路)も通っていませんでした」
ーー小学生時代はどう過ごしましたか?
「3年生のとき、キャプテン翼ブームで学校にサッカー部ができたので、5年生で入ってGKで副キャプテンをやりました。体育の担当がサッカー部を立ち上げた先生だったのですが、部活でやっているポジションを授業でやりたくなかったのでDFをして、ボールを取ったら『すごいな!GKじゃもったいない』と言われて、センターバックにコンバートされました」
ーー当時から体が大きかったのですか?
「大きかったです。キック力もあったので、フリーキックやコーナーキックも全部蹴っていました。5〜6年生でサッカーをやったのですが、簗嶋といえば相撲ですね。父親が柔道の師範をしていて昔から教わっていたのですが、新聞で小学生の相撲の大会を見つけて『これに出ろ』と。1年生から3年生が同じカテゴリーで、1年生のときに3年生に勝って初優勝。毎年出て、6連覇しました。そうしたら、当時引退した横綱・輪島さんから連絡が来て、『東京の中学校に通って、うちの部屋に入らないか?』と自宅までスカウトに来てくれました」
ーーすごい。中学生になりたてでですよね。
「そうです。当時の担任の先生に『中学でサッカーをやるなら附属中(宇都宮大学教育学部附属中学校、現在の宇都宮大学共同教育学部附属中学校)を受験しなさい』と言われて、受験したら受かって。その後のスカウトだったので、『すいません。大学卒業してから考えさせてください』と答えました。輪島さんは『分かりました』と言って。毎月、番付表などが送られてきました。もし入っていたら若貴、曙が同期でした。受かっていなかったら、東京に行っていたかもしれないですね」
ーー結局、中学でもサッカーを続けて。
「附属中は県大会でベスト4に入っていたのですが、いざ自分たちの年になったら2回戦で負けてしまって」
ーー他の学校が強かったのですか?
「いや、自分たちが弱かったのでしょうね。次の世代は全国で優勝しました。自分は中2のとき、父親が末期がんで亡くなったんです。余命1か月宣告されましたが、1年半ぐらい生きました。母親がずっと泊まり込みで看病して、自分一人で自炊して。なので、夕方の練習にはあまり出られなくて、朝練だけ。18番でベンチです。たまに交代要員で出てという感じ。3年生のときは運動会で応援団長をやりました。団員はみんな学ランを着るのですが、あぶない刑事にハマっていたので親友に副団長をやらせて二人だけスーツにサングラス姿で登場して。変わったことをやるのが好きだったのかな」
ーー高校では?
「通った高校はもともと女子高で部活が剣道部ぐらいしかなかったんです。サッカー部をつくろうと30人ぐらい集まって申請したのですが、許可が下りず1回も練習できないままでした。その後に違うメンバーで野球部をつくろうと誘われて、顧問の先生もついてくれたので1か月ぐらい筋トレをしていたのですがこれも最終的には許されず、公園などでキャッチボールをしていました」
ーースポーツは他に何かやっていましたか?
「高1から極真空手をやっていました」
ーーなぜ空手を。
「親戚に少林寺拳法をやっている人がいて、小中とたまに遊び程度に教えてもらっていたんです。本当は、県立高に入ったらラグビーをやりたかったのですが落ちてしまったので、大学に行ったらアメフトをやろうと思っていました。アメフトは格闘技だと思っていたので、やらないと駄目だと。フルコンタクトの極真空手の道場に通いました」
数々のアルバイトを経験
ーー卒業後の進路は?
「高校のときに医者か薬剤師になろうと思って、大学受験のために(専攻の)コース変更を学校に頼んだのですが許してもらえず、家で勉強する生活をしていました。一つ目の大学には受かったのですが、入学手付金がすごく高かった。『ここに受かったから他もどこか受かるだろう』と払わずにいたら全部落ちて、一浪しました。予備校の医学・薬学コースの選抜クラスが東京と千葉にあったのですが、友達に『東京だと遊んじゃうんじゃない?』と言われて千葉に引っ越しました。向こうで友達は一人もできなかったです」
ーー勉強ひとすじ。
「がたいが良かったので怖かったんじゃないですかね。バイトばかりしていました。高校時代からバイトが好きで、1年のときから宅配業者の繁忙期に早朝と夜の荷物の仕分け、土日はデパートのレストラン街で厨房とホールのスタッフ、ガソリンスタンド、親戚の薬局のポスティングもやりました。夜中は朝まで勉強して」
ーー学校で寝てしまう。
「良くないですね。千葉でもたくさんバイトしました。幕張メッセの警備員や成田空港のグランドサービス(発着補助)も」
ーー千葉県ならではのお仕事ですね。
「空港には出稼ぎでいろいろな国の人がいて、スペインの方と仕事をしたときは言葉を教え合いました。早口言葉やギャグクイズとかをして、そこそこ話せるようになりました。面白かったです」
ーー密度の濃い1年間。
「医療系は2年目も落ちてしまって、すべり止めの文系に行きました。3年目もトライしようと思って予備校の夏期講習などを受けていたのですが、やはりバイトに明け暮れてしまって。早朝のベーカリーカフェ、デパートのレストラン、競馬場の警備員の三つ掛け持ち。ビアガーデンもやって、その2年目は〝学生契約社員制度〟で料理長と店長を兼任しました。東京には5年いたのですが、学校には全然行きませんでした」
ーー大学は、なんとか卒業したのですか?
「いや、中退しました。高3のときに政治経済の授業が大好きだったのですが、東京での5年目に憧れていた企業で契約社員の中途採用の求人があって、そこに受かったんです。他の仕事は全部辞めて入りました」
ーー巡り合わせですね。
「それが、ちょうど1年経つか経たないかぐらいにお盆でこっちに帰ってきたら、コンビニチェーンの栃木本部の初代社長に就任した叔父の記事が地元の新聞に載って、それを本人から見せられて。『面白そうですね』と言ったら翌日、『人事部で面接をするから、スーツを着て履歴書を持ってこい』と。行ったら採用と言われて、憧れの企業は怒られながら退職することになりました」
カフェ開店の背中を押した一冊のノート
アルバイト時代から仕事に全身全霊で取り組んできた簗島さん。その後、ある出来事をきっかけに自分が本当にやりたいことは何かを考えた。そして、ある一冊のノートがその背中を押した
ーーコンビニチェーンではどのようなお仕事を。
「1年目で店長、その後スーパーバイザー(SV)になりましたがハードでした。月1の休みは東京や大阪、九州に日帰りでK-1やPRIDEを見に行ったりして。そうしたら、5年目に倒れてしまったんです。心肺停止にまでなってしまって。でもすぐに辞めさせてもらえず、栃木SCやアイスバックスとタイアップして企画弁当などをやりました。SVの頃にメディア関係の人たちとのつながりができました」
ーーその後は。
「『明日どうなるか分からないから、やりたいことをやろう』と決心して退職しました。実は、公務員だった父親は早期退職して自分で店をやろうとしていたんです。地域の人が集まって、コミュニケーションが取れる飲食店。本屋を併設して、自由に本を読みながら今でいうカフェのような構想を昭和の時代に抱いていたのですが、物件を探しているときに病気が見つかって。荷物を整理していたら、その計画が書いてあるノートが出てきて『話は聞いていたけど、ここまで考えていたんだ』と。『自分もやりたいな』と思って、2002年にRound87を開店しました」
ーー気持ちも受け継いだのですね。
「東京にいるときにスポーツカフェを見て、『栃木にもこういうお店があったらいいな』と思っていました。コンビニ時代にちょうど、栃木SCがJFL(日本フットボールリーグ、アマチュア最高峰)に昇格し、アイスバックスもできた。このタイミングで食事も提供する〝栃木版スポーツカフェ〟をやろうと」
ーー県内で初めてですよね。
「もちろん、初めてです。当時はクラブ側から提供される映像を流していました。他の県から来た選手などはうちで働いていたこともありました」
ーー今年でちょうど20周年。
「10周年のときはBOØWYのドラマー高橋まことさんを招いてイベントをやりました。今年もビッグゲストを呼ぼうと交渉中です」
ーーすごい。楽しみですね。
「もしかしたら、会場がホテルになるかもしれません(笑)」
ーー最後に、今後の栃木のスポーツにどんなことを期待したいですか?
「チームには今以上に地域貢献を頑張ってもらったり、県民の皆さんにもスタジアムにどんどん足を運んでもらいたいです。興味を持ってもらって生で試合を見れば、面白さが分かって応援しようという気持ちが芽生えると思います。スポーツには街を元気にする力がある。子どもたちもプロスポーツを見ると、憧れたり自分の目標になったり良い教育にもなる。自分もそういう思いでスポーツカフェとフリーペーパーを始めました。こういうときだからこそ、みんなで応援して街を盛り上げていきましょう!」
インタビューの後、アイスバックスの観戦帰りの親子が訪れ人気メニューをテイクアウトで注文。2歳ぐらいの男の子がまだおぼつかないしゃべり方で、モニターにウルトラマンを映してほしいと〝おねだり〟した。簗嶋さんはリモコンを操作すると、目を細めながら厨房へと向かっていった。今はテレビの中のヒーローに夢中でも、将来はスティックを握ってリンクに立っているかもしれない。地元にプロスポーツがあるというのはそういうことだと改めて思った。3月5日現在、カフェはコロナ禍の影響で20:00までの時短営業。以前は好みのチームのユニフォームを身にまとった人々が集い、料理や酒を楽しみながらモニター越しに熱狂していた。スポーツ愛と共に、父親の夢も乗せた場所を守り続ける簗嶋さんの思いはきっと、私たちの想像をはるかに超えるだろう。すぐには難しいかもしれない。それでも、〝店中が熱さでみなぎる〟その光景が戻ってくる日が必ず来ると願ってやまない。
※写真は一部加工しています
cafe Round87
栃木県宇都宮市春日町13-8
028-615-0870
月曜定休
【火〜木曜】18:00〜22:00
【金曜】18:00〜24:00
【土曜】12:00〜24:00
【日曜】12:00〜22:00